『まことに小さな国が、開化期をむかえようとしている。』
サムネイルに書いたのは、司馬遼太郎の歴史小説「坂の上の雲」の書き出し文です。今回の特集は、近年多くのマイナーリーガーを輩出しているカリブ海域の小国”バハマ”です。そのバハマを調べる内に、「坂の上の雲」の有名な一文が今のバハマ野球に妙に当てはまるような気がするもので、陽気で明るいバハマのイメージには似つかわしくない文章をあえて添えてみました。
今シーズン、ジャズ・チザム(SS/マイアミ・マーリンズ)がバハマ出身の7人目のメジャーリーガーとしてデビューしましたが、彼に続こうと約20名のマイナーリーガーが研鑽に励んでいます。このマイナーリーガーが2桁いるということは重要で、この国における野球の普及度を推し量る上での大きな違いとなります。というのも、野球が盛んでない国からも1~2名くらいのマイナーリーガーは出てくるものですが、これだけの人数は偶然出てくるということはありません。その理由が何なのだろうと興味を抱き、今回バハマを取り上げました。
WBCに参加した3人のバハマ出身選手
事の起こりは2012年9月に開催された第3回のWBCドイツ予選。第3回大会から予選が開催されたWBCですが、その予選に参加した国の1つイギリス代表の中に3人のバハマ出身選手が含まれていました。何故、独立国であるバハマ出身の選手がイギリス代表に参加できるのか?というと、WBCの参加資格「親のどちらかが当該国の国籍を持っている」という条件があるからです。バハマは1973年にイギリスから独立しました。1973年以前にバハマで出生した人はイギリス国籍を持っていますから、現在47歳以上となる彼らが20~30歳頃に産んだ子供たちの世代が、WBCイギリス代表としてのちょうど参加資格を有していたという訳です。しかし、1973年の独立以後の世代はこの条件から外れていきます。イギリスはいつまでもバハマ出身選手の力を借りる訳にはいかなくなりますし、バハマ出身の選手は今後WBCに出場するためには単独の代表チームとして出場せねばなりません。
イギリス代表として参加した3人のうちの1人で、同国出身の6人目のメジャーリーガーであるアントアトン・リチャードソン(OF/元NYやキース)はバハマ単独代表チームの必要性を強く感じています。リチャードソンのインタビュー記事などを見る限り、WBCという国際舞台で彼自身が得た体験は他に代え難い貴重なものだった、この流れを絶やしてはならない、と使命感のような想いを抱いているようです。同じくイギリス代表としてWBC予選に参加したアルバート・カートライトも、グレッグ・バロウズJr、ジェロン・サンズと共にバハマの首都ナッソーにベースボール・アカデミーを設立しました。それが2013年ですから第3回WBCドイツ予選の後になります。WBC予選での経験は2人にとって何かしらの刺激にはなったものと思います。(尚、二人とも続く2017年第4回WBC予選にも、イギリス代表として参加しています。もっと言うと、J・チザムも含めバハマ出身選手がイギリス代表打線を担っていましたから、もし予選決勝でイスラエルを破っていたとしたら、イスラエルの代わってバハマ勢と侍ジャパンの対戦が見れていたかもしれません。)
協会vs連盟の対立
既にバハマはWBCへの単独代表チームでの出場の嘆願を行っていますが、コロナの影響で延期となっている第5回WBC予選にも、まだバハマ代表の登録はありませんでした。そもそもWBCに限らずバハマ代表が国際試合に顔を出した回数は数える程度しかありません。
2000年代のバハマ野球には2つの組織が存在していました。1つはバハマ野球連盟(BBF:Bahamas Baseball Federation)、もう1つはバハマ野球協会(BBA:Bahamas Baseball Association)。2003年に政治的な力があり官僚主義的な”協会”から独立するような形で、グレッグ・バロウズが”連盟”を結成しました。2つの組織は対立関係にあり、国内の野球リーグも”連盟”所属と”協会”所属とで分かれていたようです。WBCイギリス代表に選手を派遣したのは”連盟”が主導していましたが、一方でバハマ代表チームを結成する主導権はIBAF/WBSCから統括組織として認可されている”協会”の方だったようです。小さなバハマという国の中に統治団体が2つあったことで、当時の国際野球連盟IBAFはバハマの国際試合への出場資格を停止する処置をとったという話も、バハマ関係者のインタビュー記事にありました。(日本のバスケットボールで、JBLとbjリーグに分裂し国際大会への出場資格を失ったのと同じような話でしょう。)バハマ国内において野球は、バスケットボールや陸上・マリンスポーツに続く人気を誇っているはずなのですが、その代表チームが国際試合に数えるの回数しか顔を出していなかったのも、こういった背景が関係していたようです。
この状況を打破するため、2014年10月バハマのスポーツ文化大臣の仲介で、”協会”を軸に中心にバハマ野球を統括することが合意されました。更に2019年には”連盟”は活動を停止し、協会に全面的に協力するようになりました。これにより、バハマ単独代表チームを派遣できる体制は形上は整いました。
バハマでマイナーリーガーが増えた理由
バハマは貧困国ではありません。1人当たりのGDP(購買力ベース/世界銀行集計)は、2019年で37,266ドル(38位)です。バハマの順位前後にいる国の名前を挙げると、36位エストニア、37位リトアニア、39位ポルトガル、40位プエルトリコ、41位ポーランドなどです。中米の中では比較的裕福と言われるパナマが32,763ドルで44位、野球大国ドミニカ共和国が19,182ドルで70位です。ここで言えるのは、バハマは東欧並みので、他の中米カリブ海とは生活レベルに違いがあるということです。また、貧富の差が大きいのかもしれないなと思い、代表的な指標のジニ係数とか調べてみましたが、こちらも欧米程ではないものの、他の中米カリブ諸国よりは随分マシという結果でした。この所得面での他国との違いが、バハマ野球躍進を握る鍵の1つになります。
米国に渡った選手が母国に戻ってその経験をフィードバックすることは非常に大切な流れです。近年バハマ出身のマイナーリーガーが急増している1番の理由は、ここにあると考えています。アルバート・カートライトら2010年代前半にプレイしたマイナーリーガーが、母国に戻って独自のアカデミーを立ち上げたり積極的に育成活動に行っていることが実を結んでいるのでしょう。今のバハマ出身のマイナーリーガーのほとんどが20歳以下のルーキークラスなのですが、時間軸と合わせて説明すると、2010年代前半にアカデミーで学んだ10代前半の選手たちが、メジャーのスカウトの目に留まり契約にこぎつけた、という流れなのでしょう。もし、バハマが貧困国だったならば、アメリカに渡ったバハマ人マイナーリーガーが母国に戻って若い世代に経験を伝えるという好循環は生まれにくかったと思います。アメリカの方が引退後の仕事は見つけやすいしょうからね。
因みに、バハマ出身のマイナーリーガーたちの経歴を見て気づくこととして、アメリカの高校や大学を経由している選手がいる、ということです。割合としては少ないですが、選手個人が直接メジャー球団と契約せずドラフト経由で入団する選手がちらほらいて、例えば先述のアントアトン・リチャードソンは、デイビッド・プライスやソニー・グレイを輩出した名門ヴァンダービルト大学出身です(しかも3回も指名拒否。)。他の中米カリブ海地域の国と違い、バハマは英語圏であるため言語的な障壁がありません。また、識字率などのデータからも同国の教育水準は相対的に悪くないことからも、バハマの人たちにとってアメリカの高校や大学を経由するキャリア形成は、よくある選択肢なのでしょう。バハマ野球”連盟”(BBF)も、アメリカの高校/大学への留学を積極的に後押ししていたようですから、他の国とは明らかに違う振興策を採っていることが分かります。
観光業を中心とした経済、ある程度のレベルが確保された教育や語学面でのアドバンテージ、数十万人程度しかいない人口、アメリカでの経験を若い世代に伝えてくれるOBの存在…。こういった特徴は、世界でダントツのメジャーリーガー輩出率を誇るキュラソーと非常に類似しています。バハマ出身のマイナーリーガーが増えている理由も、恵まれた環境面と同国コミュニティの努力の結果と言えるでしょう。
直面する2つの課題
そんなバハマ野球がかかえる課題は、詳しい方はご存知の『外野手ばっかり問題』です。
『外野手ばっかり問題』は、文字通りバハマ人マイナーリーガーの人材が極端に外野手に偏っているという課題です。内野手はメジャーリーガーのJ・チザムの他に、プロスペクトのルシウス・フォックスJr(SS/カンザスシティ・ロイヤルズ)などがいるのですが、まだまだ内野は手薄です。選手が全体的に若い選手ばかりで、チザムやフォックスのように二遊間の人材はいるのですが、一方でファーストは手薄。元々ショートやセカンドだった選手が、年齢と共に動きが衰えファーストやサードにコンバートされる例はありますが、バハマの現役選手の中にはまだそこまでのキャリアに達している選手が少なく、もし国際大会に参戦するとなると、ショートやセカンドから急造コンバートを強いられる場面も出て来そうです。
また、それ以上に困るのは投手や捕手が揃わないことでしょう。そもそも、何故これほど極端に外野手に偏るのか考えてみましたが、はっきりした結論には至りませんでした。仮説レベルで考えられるのは、『バハマも他の中米カリブ海の国と同様に”二遊間が花形”なのだけど、同じくコロンビアやキュラソーなど二遊間好きのライバルが沢山いるので競争が熾烈で、バハマの場合は本当に才能のある選手以外は、早々に外野手にコンバートされちゃっているのではないか?』という話。バハマ人野球選手も足の速さや跳躍力に優れているのだとしたら、何となく外野手の方がメジャー球団にスカウトの目に留まりやすいのかもしれません。まぁ理由はどうであれ、代表チーム編成する上で、投手や捕手をどこまで補強していけるかが深刻な課題です。WBCであれば一部バハマ系アメリカ人選手の召集も可能になるでしょうが、バハマ系米国人の人口は4万人程度と呼ばれていて、選手層の上積みはあまり高い期待は持てそうにないだろうと思います。マイナーを解雇された選手も元々が外野が多めなので、彼らを結集したとしても、この極端なポジションの偏りはしばらく頭の痛い悩みになりそうです。
とは言え「バハマ国内で野球の試合は行われているのだろうから、マイナーリーガーでなくても国内組の中に投手や捕手自体がいるのでは?」と思い調べてみました。…が、バハマではジュニアやユース年代の国内大会は積極的に開催されているようですが、年齢制限のない成人以上のリーグのデータは今のところ見つかりませんでした。こういった情報が簡単に見つからないということからも、あまり大々的に開催されているものではなさそうだ、ということが分かります。マイナーを解雇されたとしても、その後プレイする舞台が国内にあれば、そこを基盤に代表メンバーの編成を行うことができますが、それが今のバハマに無いというのはきついですね。アメリカの高校や大学への留学にしろ、マイナーリーグとの契約にしろ、バハマ国外の団体やリーグに頼りきってしまうと、どうしても所属先の都合が優先されてしまいますので、自前のステージを用意する必要は必ずどこかで出てくると思います。
WBC予選にバハマ単独代表チームとして参加するには、まずは中南米カリブ地域で開かれている地域の国際大会で成績を残し、世間にアピールしていくことが大切です。WBC英国代表からバハマ勢がいなくなってしまうのが先か、バハマ単独チームとして活躍が認められWBC予選に出場できるようになるのが先か。バハマのいる中南米は強豪の多い地域ですから、その難しさを思うと彼らにはいくらあっても時間は足りないと感じると思いますが、是非母国に大きなムーブメントを起こしてもらいたいと思います。
~以上~
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